高級腕時計の必要性について考える

腕時計について考えたことをまとめています。記憶のメモ書きになるので、ですます調ではないことを予めご了承ください。 また、正しいことを主張する意図はありません。

機械式時計の必要性や合理性、あるいは将来性について疑問に思うことがある。私は買った後の今でもって思うことがある。 「買った人はみんな好きで買ってるし、好きならいいじゃないか」は、そうなんだが、そうはいっても高い買い物だ。悩まないわけにはいかない。

機械式に興味があるのはこだわりが強い人だ

このご時世で、非合理な機械式腕時計、高級時計に手を出そうなんて人はどうせ拘りが強いだろう。 必要性がどうとか考えて悩んでる人は、結局、買わなければその悩みは解決しないと思う。

熱が風化することもあるだろうが、風化までの時間と思考コストを払うことになる。 購入は、購入するまでの思考コストで済む。ほかに、購入代金というコストがかかるのだけれども。

そして気を付けて欲しい。こだわりが強いからって自分の意志だけで選ばず。先駆者の知恵と情報は追った方がいい。 その方がきっと事故が少ない。

クォーツ、G-SHOCK、AppleWatch は乗り越えた

クォーツの登場、G-SHOCKの登場、AppleWatchの登場とあって、今現在になって、機械式高級時計は生き延びている。

特に歴史的に見てクォーツショックは大きく、工場が一時停止したり、方向転換を迫られたことがあったとされる。 ただ、すでに乗り越えている。

それ以降、タフさ壊れにくさのG-SHOCK、最近ではハイテクな AppleWatch が出てきて、なお機械式の市場が展開されている。

※もしかしてコロナの影響によって投資市場という別の形になったことが大きいかもしれない。 コロナの影響がなければ、緩やかに衰退していたか、執筆時よりもっと違う状況であろうとも思うが、割愛。

言いたいことは、合理性だけを追求する分野であるなら、幾度となく消滅の機会があった、という話である。 言い換えれば、現在は完全に住み分けが成された、と考えてよいという話でもある。

合理性以外の側面で時計が欲しいという市場が成立している以上、急速に市場が死滅することは少ないだろう。 価格の上下については定かではないが。

あと、言うほどみんなAppleWatchとかG-SHOCK使っているだろうか? それこそ多くの人がスマートフォンで代替している「段階」に見える。

人は合理性だけで生きていない

腕に着ける物としてみたとき、腕時計ができてアクセサリーはなくなったか?

栄養摂取の合理性だけ考えれば、現代においては点滴が最強ではないか?そういう風に進化してくのではないか?

まぁ食事のことは極端にしても近しい分野では例えばファッションなんかでも、 (一見すると)非合理的な選択がなされていることはたくさんある。

結局のところ、人はその時に得られる効率や合理性だけを考えて生きていない。

ただ残念なことに、だから時計選びに苦悩する。

高い合理性を求める人が比較的多機能な、現代においてはAppleWatchを選ぶだけでなのだ。 腕時計やそれを求める人を否定する理由にしてもらいたくない。

AppleWatchに縛られる

今のところ、私は AppleWatch に縛られたくないと思う。それを身に着けていれば必然、入ってくる連絡などに過敏になる。 スマートフォンですらそういうことが言われていたことがあるかろう。身に着けているものならなお逃れられない。

※上記は個人の主観が大きいという自認があり、一般的ではない可能性がある。 「OFFにすればいい」などの意見があることもわかる。であれば、最初からないものを使ったっていいだろう。

そういう意味だとフランクミュラーは時代の先を行っていたのだなぁ。クレイジーアワーズやシークレットアワーズや。 「腕時計によって時間に縛られる」ことから逃れようとしていた。

理想の道具に人生であと何回出会えるか

人生で本当に好きなものに出会える頻度ってどれくらいあるのだろうか。 人生で好きになれる物に出会ったとして、その物とあと何年共にできるだろうか。

長く使うつもり、長く使える物なら、早くから出会っていた方がいい。長く一緒にいられる方がいい。

必要ならローン、趣味なら一括

人のお金の使い方なんてその人が決めればいい。ただ個人的に趣味は一括、必要な買い物はローンがいいと考えている。

必要なものは早めに手に入れて、それを活用していった方がいい。そこに時計が当てはまるなら、それでもいい。 仕事で使うことが分かっている、無いと困るなら、さっさと買った方がいい。

あるいは早期に手を出すことでアドバンテージが得られるものなら、ローンがいいと思う。

他方で、趣味の場合、生活を変えてまで打ち込む必要性があるかは良く考えるべき。趣味の場合、ローンや一括かは重要ではない。

ただ、一般的には、生活やスタイルを変えることは大きなストレスになる。 生活を変えない範囲で現実的なローンになるのかどうか、一括の支払いになるのか考えるのがいい。

豊かになるための買い物は素晴らしいが、ストレスを買いたい人は一般的には多くない。

環境が変わる

逆を言えば、自分を置く場所を変えずに、環境を変えることが一瞬にしてできるのが高価な買い物だ。 仕事を変えなくても人付き合いを変えなくても、一気に自分を追いやることができる。

そして、私はこの気がある。

Materialガールにならないように

やや余談だが、MaterialGirlよろしく、買うことでストレスを解消するようにはなるべきではないと思う。

ただこれは難しい。買うことは手っ取り早く報酬を感じることだからだ。 実際には消費やトレードであるにもかかわらず、何かに成功した感覚を得られてしまう。

※念のため、MaterialGirl は通俗的な用語として使っているが、そこにジェンダーの差異はない。

安価な物や偽物と本物の違い

よく似た顔の安い時計を並べて、高いもののほうがよい、高いものを選ぶ理由を自分で説明できるだろうか。 説明できないとき、安価な時計でも満足できる可能性がある。

もちろん言語化が苦手な人がいることは知っているが。比較して、どういうところが好きか、くらいは考えてもいいはずだ。

あるいは、本物と、それにすべてが同じ偽物があったとして、本物を選ぶなら、偽物にはない価値を感じているはずだ。 恐らくそれは精神的なものに由来する。

作りの都合だけで言うと、本物と偽物は同じにはならない。偽物は本物よりも安いコストで作る必要があるためだ。

時計について、顔だけで良いなら、偽物はあり得るだろう。 ただこの文章に目を通している人の多くは、偽物を身に着けた自分を許せないように思う。どうだろうか。

量産品には価値あり

時計の話とやや反れるが、個人的には、量産品には価値があると考えている。よく似ててもいい。 広く普及させ、そのものの良さを伝え、市場を開拓し、技術を伸ばすことに繋がる。

ただし本物として騙るのは良くない。本物を殺す。悪貨は良貨を駆逐する。

スケルトンは賢いのかもしれない

本筋と話がやや反れるが、シースルーバックや、スケルトンタイプの時計には、ビジュアル以上の意味がありそうだ気が付いた。 シースルーバックは偽物製造のコストを上げる。

外装で覆われたものは、その内部を安く抑えることができるか、あるいは誤魔化すことが容易だ。

他方でシースルーバックはどうだろうか、機械が異なればすぐにわかるし、機械の工作精度もそれなりのものが求められる。

もちろん手を抜いて複製そのものは可能だろうが、外装で覆われた物よりはコストがかかることには違いない。

他方シースルーバックだからと言って本物であるとも限らない。 部材を安くするとか、そういった類の手段はいくらでもある。警戒がいらないわけではない。