時計を買ってからの自分の心境やその変化
腕時計について考えたことをまとめています。記憶のメモ書きになるので、ですます調ではないことを予めご了承ください。 また、正しいことを主張する意図はありません。
足りていたものが足りなくなる
一本目を使い始めると、「このシーンではこういう時計が欲しい」「このシーンには合わない」が見えてくる。
元々大して時計を着けていなかったか、困ったことはなかったはずだ。
しかしだ、本来なくても良かったはずのところに、足りていたところに、足りないものが見えてきてしまう、なんて無駄で贅沢な話だろうか。
選んだ理由があると後悔は小さい
時計に限った話ではないが、その物を選んだ理由があると、他の気になるものが出てきたときの後悔が薄い気がしている。 あるいは、そもそも後悔がない気がしている。
少しでも「この時計じゃなかった方が良かったかもな」という瞬間が来たとき、 つまり他の時計が欲しくなったり、シーンに合わなかったとき、その時計を選んだ理由を振り返ってみると、後悔する理由が薄れる。
他の時計の良さを知る
1つ目の時計を持つと、その扱いに慣れて、余裕ができて、視野が広がる。
1つ目の時計の良し悪しが見えると、それを比較対象にして、他の時計の良し悪しが見えるようになる。
2つ目の時計を持つと、1つ目の時計の良さを知る。
ポケモンのような感覚
購入前、直後は装飾、タトゥーなどに近しい感覚がある、と考えていた。
その考え方を否定する材料は未だ持ってないが、新しく浮かんだ思いというか考えというか、ポケモンのような感覚がある。
好きなポケモンは沢山いて、しかし手持ちに連れて歩ける数には限りがある。
選ぶ楽しさもある。特定のタイプばかり好きな人もいれば、バランスよくパーティ構成をする人もいる。
可愛いポケモンばかり好きだけど、一匹だけ毛色が違うとか。強くないんだけど好きとか、抜けてるんだけど可愛いとか。
なんかそういう感じが近しいなと。ポケモンのゲームデザインは上手いんだな、本当に。
取捨選択が上手くなる
選べる幅が広く、高額な買い物であるためか、取捨選択が上手くなる。その重要性を知る。
これはもしかして上手くなった気になっているだけかもしれないが。 深く、頻度高く繰り返すので、自問自答のスキルが上がる気はしている。
これが例えば選択肢が狭ければ、繰り返しの頻度は少なくなるし、安ければパワープレーで済ませられる。 身に着ける物と考えているせいもあるかもしれない。自分のある種キャラクタを表すものであるから、何でも良い、になりにくい。
そう考えると、投資の目的ではやや性質が異なる。利率の良いであろう時計はある程度絞られているし。
理由を探したり、感情的なのか理性的なのか、合理なのか非合理なのか、 必要なのか不必要なのか、自分の感性はどこにあるのか、利用シーンはどうだ、 長期的にはどうだ、時計選びは自問自答する機会は多い。
あるいはもっと単純で、次の時計を買うために、必要な行動や削減するべき支出を考えたりしているだけなのかもしれない。
一番ポジティブなことだった
取捨選択の速度向上が自分にとって一番ポジティブだった。 自分は集中力がない人間で、その割にはあれやこれやと手を広げるので、 中々収拾がつかず、やるべきことに集中できてないことが多くあった。
今もなお集中できていないと言われればそうなのだが、少なくとも思考の断捨離とも言えることはできたと、この執筆時点で思っている。
ネガティブなことを挙げるとすれば、やはり支出が多いことと、時計沼そのものが抜けるために時間がかかりそうなことだ。
おおよそ、これだけいけば満足するだろうな、という勘所はあるが、それも定かで話し、 なにより、沼から抜けても、また再度はまるタイミングがあろうとも勘づいている。