現代における高級腕時計の役割

自分でも整理しきれていない話ですが、ロレックスのデイトジャスト36を購入したので、 高級腕時計について、思うところを書き殴っておきます。 書きなぐった後の結論としては、趣味の比重が大きい人がほとんどだろうなと思います。

追:購入して1か月後の記録です。思考の更新が入っていますが、1か月後に思ったこととして、そのまま残しておきます。

装飾としての役割

現代において「時間を確認する」ことが目的なら、方法はいくらでもあるし、高価である必要性はない、というのは明白です。 個人的には、高級腕時計はアクセサリー、あるいはタトゥーに相当する物なのだと考えています。

人が装飾することについての古典的な目的は、宗教、文化、風俗の歴史に関わるところなので割愛します。 端的には装飾は「その人のことを目で見て伝える物」と言えるでしょう。

時計に限らず、身なりから、その人の趣味や趣向、思想が見えてくるのは言うまでもなく。

自己表現のために、可愛いもの、かっこいいもの、好きな色、好きなモチーフの物を身に着ける。これはいわゆる趣味です。 他方で、権威の象徴だったり役割を示す目的で装飾されたものを身に着けることもありますよね。こちらはステータスと言われるものです。

趣味性

趣味を理由に、わざわざ一般的な価格の時計ではなく、高級時計を選ぶ理由はあると思います。

それなりの品質の物を作ろうと思うと、そこに相応のコストがかかるから、という理由です。 ここでいう品質とは、デザイン、機能、サポート、信頼性などあらゆる面を含みます。

趣味の場合には、価格帯に縛られずに好きな時計がある、という方は多いと思います。 その内のいくつかに高い時計が存在する、というだけです。

ただ先の通り品質の高い時計を作るにはどうしてもコストがかかります。 魅力的な製品づくりにはコストがかかるので、結果的に高級時計が選ばれがち、というのはどうしてもあると思います。

ファッション/装飾、デザイン/審美性、メカニズム/機構、ストーリー/歴史的背景、などがあって趣味になりえる要素は多いんですよね、時計。

ステータス性

次いでステータスの話です。大昔から王族・貴族・皇族がその権威を示すために装飾していたのと本質的には同じです。

「高い物を身に着けてるんだから、相応の稼ぎがあるんだろう」という見方は正しいと思います。

現代においても(残念なことに?)ルッキズムやドレスコードという物が存在します。 「その場面にふさわしい人物であるかどうかを外観で見られる」ということです。

ある程度の稼ぎがあることを示すことで、その人物の背後に信頼性を感じさせたり、他者との差別化を図る、 という目的で「ステータスを可視化するために」高級腕時計をすることはあると思います。

ただステータスを見せることを仕事にしてたり、社交で必要な人はきっと多くないですよね、ほとんどの場合に趣味比重が大きいと思います。

成金趣味

率直に言って、高級時計が「成金趣味」と忌避される要素はおそらくステータス性にありますよね。 「高級時計を身に着けたところで、その人の本質的なステータスは変わらない」からです。 「高い時計を身に着けているから偉い」、なんてことはないのは多くの人が賛同するでしょう。

ただ残念なことに気が大きくなる方は多く見受けられる気がします。 運転すると気が大きくなる類のそれと似てるんじゃないかな、とボンヤリ思っています。

本来のステータスに不相応な身なり、振る舞いで高級時計を着けていると、「時計でステータスを買いに行こうとしている」風に映るのでしょう。 (そういう意味では私も成金趣味に見られているはず、そしてそういう性質を確かに自覚しています、後述します)

ただ、時計に引きずられて振る舞いを正す、鼓舞する、という精神性はあり得ると思いますから、必ずしも否定するものではないと思います。 が、「客観的にそんな精神性は分からない」ですからね。成金趣味と見られても仕方ないです。精神性については後述します。

「格上げ時計」みたいな用語を見かけることがありますが、上記を理由に個人的には好きではありません。 時計そのものが身に着けた人のステータスを上げることはなくて、身に着けた人の心構えで振る舞いを良くし、ステータスを上げるのだと思いたい。

※否定はしないです。言いたいことは分かるし、昨今の「高見え商品(実際には安いがクオリティが高い)」と同じ文脈で使われているのだと思います。

他に「成り金」というからには、お金を持った人が生活に必須でないのに趣味でやりがち、というのがあると思うんです。私も例に漏れません。 ただその定義で行くと、趣味にしては高額、と言われる部類のものは、すべて成金趣味だと思うんですよね。

時計が特に成金趣味的な部類に入りがちなのは、そこに貴金属が使われていたり、道具としての価値より資産的価値が大きくなったからだと思います。

時間を知るための生活必需品としての役割以上に、資産価値としての役割が大きくなって、それが相手の目に見えるところにあるから、 お金や資産を相手に見せるのと同じように捉えられているのではないかと。

改めて「高価だから、私がすごいんじゃない」「物が良いから高価なのだ」というのは忘れないでいたいものです。

嫌味のない時計

「嫌味にならない高級腕時計」という言葉があります。 この概念もステータス性の要素から出てきているのだと思います。主にビジネスシーンで出てくる言葉でしょう。

例えば、商談相手があまりに安価な時計を付けていても「この相手はきちんと稼げてるのか?」とステータスを疑う。 他方であまりに高価な時計だと「この相手は儲けが大きくて、足元を見らてるんじゃないか、実は裏があるんじゃないか? ステータス(ヒエラルキー)を下に見られてるんじゃないか」と疑うんだと察します。※実際のところは知りません。

「どんな時計を着けていようが、本質的なステータスは変わらない」という思考なら、 誰がどんなものを身に着けようが関係ない気はしますけどね。

まぁそうは言っても例えば金無垢の時計を着けた人が私を訪ねてきたら、私は身構えちゃいます。 それは普段私がそういう物を身に着ける人たちのいる環境にいないからで、 要するにシーンに不釣り合いな要素(時計やキャラクター)が登場すると、緊張を生むのです。

なので、ビジネスにおいてそういった無用な隙や緊張を減らす、 というのは重要で「嫌味にならない時計」を身に着けるのは戦略だと思います。

よくオメガやグランドセイコーが話題に上がりますが、 おそらくロレックスほどメジャーではないが、それなりに知名度があり、 価格帯が高すぎず安すぎずでちょうどよく、実用向けの機能を多く持つブランドだからでしょう。

メジャーな製品がどちらかというとストイックな作りで、 煌びやかなドレスウォッチの印象が薄いブランド、というのもあると思います(実際には出してるけど)。

精神性

個人的には精神性の話もあると思います。それを身に着けることによって、自分の気の持ちようを変える、という趣旨です。 「この時計を買ったからには頑張ろう、振る舞いを変えよう」などはその一端だと思います。

これはタトゥーに近い性質を持っていると思っていて、自身の精神的な弱さを鼓舞するためだったり、 主義や主張のためにタトゥーを入れることがあるのだと思っています。

もちろん先述したような趣味の目的やステータスを見せるためもあるでしょう。 民俗学的な観点から見たらステータスや意味が込められてることはよくあるみたいですしね。

先に述べた成金趣味的な発想に近いですよね。「自分を大きく見せる」ために高い時計を身に着ける。 私はこの要素をきっといくばくか持っていて、自分の弱さを自覚しているから、 それを補うような精神性を持って高級時計を手に取った感覚はあります。

後は時計ファンからもタトゥーファンからも怒られそうですが、 流行り病的に、若気の至り的に「かっこいいから」と手を出すのもタトゥーと高級時計とで似てる点だと思います。 現代において、この側面を否定できる人は多くないのでは。むしろここの比重が大きいと思います。趣味の領域にも跨ってますね。

道具としての役割

先に道具としての役割が薄れたことを前提に高級腕時計の話をしましたが、 引き続き道具としての役割を持ったシーンはあると思います。AppleWatchが登場した今でもです。

ほとんどの場合はビジネスシーンでしょう。例えばAppleWatchが好まれないケースもあると思います。 基本的には携帯電話(スマホ)の登場と同じ理由です。商談中や接客中に時間を確認するために繰り返しスマホを確認されていては、 相手から見て自分に集中されていないかもしれない、という印象を与えますよね。実際には時間を確認していただけでもです。

私自身は(特に過剰な)マナーとかあんまり好きじゃないですけど、相手からは何をしてるか分からないわけですから。 現代においてスマホは時間を確認する道具の一端という理解が相手にあったとしても、所作で印象が変わる、という点は、まだ変わっていないと思います。

A:印象が良い, B:印象が悪いでもない、のどちらでもいいけど、Aの方が良いよね、という意味です。 ビジネスにおいては隙をなくそうというのは重要でしょう。

やや余談ですが、AppleWatch、音を鳴らさないまでも受信の度に光らせてる人が隣に座っていて、映画館で嫌な思いをしたことがあります。制御して欲しいです。 ビジネスシーンにおいても光らせてたら気になることはあるでしょうし、相手に気を使わせることもある気はします。 ※私はそういう仕事をしていないけど、ありえるよな、という想像の内に書いています。

他に機密の取り扱い、あるいは設備上の都合で電子機器が持ち込めないであるとか、耐久性、持続性などの都合が考えられます。 AppleWatchやスマートフォンではない方が良いシーンはそれなりにありますね。 それらが高級である必要があるかどうかは、シーン次第ではありますが。

何かが変わったか

買って身に着けて何かが変わったか、と言われると、そんなことはありません。 身に着けているときの動作に気を付けようとか、そういう変化はありました。所作が慎重になるのは良いですね。

私の場合は付き合う友人関係も狭いですし、ちょっと職場環境が特殊なので、 特に何か言われることはありません。ビジネスシーンでスーツを着て接客するなどもないので、 周囲からの扱いは当然のように変わらないです。気にされたこともありません。

(以前オメガ買ったみたいな話でオフィスのどこかが話題になってた気がしますが、 当時の会社規模とか給与事情だったら確かになんでーってなるよな…)

多分、時計好きな人同士が気にするんだと思います。あの人の時計カッコいいなーとかは外に出ると思います。

もしかして時計店とか、接客を含むお店とかでは話題になるのかも。

忌避されるブランド体験(1

これはよいサンプルになったと思うんですが、そもそも論として、私の時計探しは父にあげる物探しからスタートしてるんですよね。 結局は別の物をあげたんですが、私の買った時計を父に見せてみたんです。

これを執筆している3日後に手術をする程度には目が悪くなってきている父なのですが、 初見だったり触ってる感じは悪くない時計でちょっと重たいね、くらいのことを言ってたのに「ロレックス」であると伝えた瞬間に一気に忌避感を示したんですよね。 そこからはもう否定の言葉しか出なくなりました。

一定年齢層の都合なのか、生活圏の都合なのかは定かじゃないですが、そのものではなくブランドを嫌味に思う人はやっぱりいるんですよ。 で、また別の日に同じ時計を着けてても何も言わないんですよね、多分忘れてます。

忌避されるブランド体験(2

正規店ブティックだったんですが、ロレックス購入時に、外装(紙袋とか)をカバーするような白い紙袋が要りますか?って聞かれたんですよね。 当日は数時間後に雨予報だったので、そのための物と思ってたんですが、聞いた話では緑の外装を隠すためと言われました。

つまり当のロレックスが、自社のテーマカラーを隠す必要性がある、と考える程度には、ブランドイメージがよくなかったりするんですよ。 自社のロゴやテーマカラーが誇れないのは悲しいことです。(すべての従事者が誇らなければいけないとは思いませんけど割愛)

最近では時計を狙った襲撃・詐欺事件などもありますから、そういう方面への配慮も一定数はあったのかもしれないんですけどね。 多分当時の文脈を聞くにそういう感じではない…(全身黒ずくめの私の外見的にも心配要らなさそう)。

ロレックスが特に一般的に伝わりやすい高級時計の代表となっているので、成金趣味的な人が多く、 そういう文化や土壌に忌避感を覚えたユーザーから、外装を隠したい要望があって、用意するようになったのだろうな、と推察します。

成金趣味の話の続き

※内容は私の勝手な思想であることを改めて前提にしてください。

実際のところ、高級時計界隈に成金趣味と言われてしまう人は多いと思います。

購入前や物選びの参考にと、方々で写真や動画を探してるときにはよく見かけましたが、 わざわざ他人の時計を他人の投稿で貶めたり、この時計を着けてるやつは~、つけてないやつは~みたいな、主張が目につきます。 「相手」に対してそれが向いてるのが、なんというか「そういう時代ではない」気がしています。

※時計に限った話ではないですけどね、個人的にはバイクも似た(個人的にはすごく嫌な)文化があると感じている。

ありがちですが、何かの記念とか語る内容があるでもなく、日常のリストショットをSNSにひたすら上げ続けたりすることも、 "一般的には"心象良くないように思います。先の成金趣味の項目で述べたとおりです。

"一般的には"としたのは、時計コミュニティの内輪についてはその限りではないからです。 実際のところ、時計選びの参考になり、大変助かりましたが、一般的な社交の場において、 時計の話ばかりする人がポンとその場に投げ込まれたらどう見えるか、に等しいです。

例えば「~のご飯食べに行きました」とかの投稿です。主たる内容はご飯を食べに行ったことを装っているんですが、 その投稿に付随する写真の主体が時計の場合「この人はそこまでして時計を見せたいんだな」と私なら捉えます。

「この時計の、この見せ方がカッコいい、こういうところが良い・好き」なんて投稿については、 話の主体が資産・ステータスの側面よりも、時計そのものや、その身に着け方、シーンに寄せられますから。忌避感はないんですけどね。

ただ不思議とこの手の投稿を連投している人は投稿内容が変わり映えしないんですよね。 「時計コンテンツ」としての情報量がなく、時計そのものよりも、資産的価値やステータスを見せたいのかな、とどうしても私は捉えてしまう。

※これは私の僻みのようなものが含まれているのかもしれません。それを否定する材料もありません。

また、腕時計は「稼いでます」みたいな象徴として絵にしやすいのだと思います。 具体的にお金の絵や写真を乗せるのは難しかったり、あるいは単に絵面が悪く、貴金属類だとその価値が直感的に伝わりにくい。

一般に高価なものであるという知名度があり、デザイン性のある腕時計、特にロレックスは、 広告的に、稼いでいます、裕福ですのアイコンとして、非常に使いやすいのだと思います。特にSNS時代の昨今では加速したのでしょう。

で、自分も思うところあってアップしては消してを繰り返し、そんな自分を嫌に思いました。 好きで買ったものを好きと主張しにくいのは嫌ですね、たぶん後ろめたさを持っているからだと思います。 その後ろめたさの正体はきっと成金趣味的な価値観、あるいは対外的な見え方を気にする弱さなんですよね。