言葉と感情は腐る。"大事なら" 伝えるべきだ。

多くの場合に、言葉や感情の発信を躊躇うと、それはみるみる腐っていく。口にするであれ、文字にするであれだ。 腐った言葉が良い方向に繋がることもあるが、それは言葉を溜め込んで熟成させるだけの土地と、そうしてできあがった養分を生かす機会とがある場合だけだ。

この場合、土地とは心の余裕、生活の余裕であったりして、言葉や感情を飲み込むことができるかどうかだ。 生かす方法がある場合とは、「言葉にしなくて良かった」あるいは「あの時こう言えば良かった」と、そう理解できる機会があることだ。

形にしない言葉と感情は輪郭が失われていく

口に出さず、文字に起こさずにいると、そのとき頭の中に浮かんでいたソレの輪郭は失われる。 本当に自分がそう考えていたのかどうかを考えてしまい始めたら、もうそれは腐っている。 だってそれは上手くまとまらなくて、気持ちが悪いだろう。

その時、その場で、口に出して伝えるべき言葉は、きっとその時にしかわからない。 もしかしたら同じような場面で同じような言葉が何度も浮かぶかもしれないし、その時その場限りのことかもしれない。 だけど口に出した言葉は顧みることができても、口にしなかった言葉を顧みることは難しいだろう。

心に余裕があれば、自分の今の立場に余裕があれば、言葉を蓄えて吟味する機会があるかもしれない。 こう言えば良かった、とか、こういうことを言わなければよかったとか、だ。 だがいつでもその土壌があるとは限らない。何時だって心に余裕がある、という人は少ないハズだ。

心のどこかに残っていた腐った言葉によって人生が助けられたならそれは良いことだ。 「あの時言葉にしなくて良かった」とそう振り返って理解できたなら、それは腐ったソレを肥料にして成長したということだ。 「あの時の言いたかったことはこれだ」ということもそう。

言いたいことが言えない間柄が良いかどうか

世間体もあるし、社会の中に自身を収めるには口にしてはイケナイことが多々あるだろう。 むしろ思ったことと異なることを口に出している、あるいは思ったことを口にしない方が多いのかもしれない。 改めて自分を振り返ってみてはどうだろうか。

生活をしていれば小規模であれ大規模であれ集団で行動を共にすることがしばしばある。 私がこの手の場でいつも初めに言うことの一つが、「思ったことは口に出せ」だ。 あるいは「思ったことを口に出します」と相手に伝えている。

この場合に「思ったことは口に出せ」とは言いたい放題言うことではないし、礼を蔑ろにして良い訳でもない。 端的には、現在自分の立場や現状について不満や改善を希望する場合には、その旨を伝えるべし、だ。 この方法が良い結果を生むとは限らないが、しかし各個が気持ちの悪いまま仕事をすることを少しでも回避することができる。

言いたいことが言える仲になるには

この題を良く見かけることがある。結局のところ、言いたいことが言える仲は、言いたいことを言った間にしか生じない。 それでもなお続く関係こそがソレになる。私は結構ずけずけと思ったことを口にする。 不快に思ったことがある友人その他も多くいるであろうが、付き合い続けてくれる人には感謝するばかりである。

感情の場合には

もしも言いようのない負の感情を抱えてしまったなら吐き出すことを少し待った方が良い。 つまりそれは未だ自分も相手も整理のしようのない"形のない何か"である。腐る前にまだ形を成していない。 整理のできない"負の何か"を相手に向けては、自分も相手もお互いに"形のない、気持ちの悪い何か"を心に持つことになる。

ただ確かに時折、"感情が爆発してしまう" ことがあるのは理解している。それは仕方がないし、 その時は自分・その人にとって本当に重要な要素が絡んでいるのであろう、とそう思う。 自分が相手であるなら、「そうなのだ」とそれを汲み取てやれると良い。自分も感情的にならないようにするのは中々難しいが。

それと同時に感情を抑えられない人間がいることも忘れてはいけない。 そういう人物だと分かった時は、そのつもりで身構えて付き合うのが良い。 それを相手に伝えることは良くても非難してはいけない。