墓荒らしの倫理、あるいはハカアラシのジレンマ

あなたは自分や家族、親せきの墓を掘り返されたらどう思いますか? たぶん良い思いはしないでしょう。ところが今の時代になってもソレは世界中で当たり前のように行われているのです。 そう、考古学の名の下に行われる発掘調査です。

言葉は悪いですが、考古学者はツタンカーメンや遺跡の墓を"暴き"過去の時代の文化や歴史を探究する人たちです。 では過去を知るために墓を暴くことは倫理的に許されるのでしょうか。ちょっとだけそんなことを考えてみませんか?

目的が "高尚" であれば許されるのかどうか

例えばいわゆる"墓荒らし"は古くから存在したようですが、 彼らは財産の確保のために墓に入り、底に眠る財宝の類を持っていきます。

一方で考古学者は知的探求心のために動く人が多いでしょう。 あるいは "人類の発展のため" であるとか、"歴史のため" であるとか、そういう建前や理由かもしれません。

では目的によっては墓を暴くことは許されるのでしょうか。 学術は高尚なものだから許されるのかどうか。 じゃあ墓荒らしが子を養い自分たちの集落を守るために墓に入るとしたらどうでしょう。 今を生きる人間の生活のためです。

敬意の有無はどうか

考古学者は歴史に敬意を払っている、適切な方法で保全しながら墓を暴いていく。 確かにそうでしょう。でも墓荒らしだってそうかもしれない。多くの場合には異なるとしてもです。

そんなことは言っても多くの墓荒らしが遺跡を傷つけているのは間違いありません。 でも墓荒らしの多くは残された遺体をスキャナにかけて、分解して、解析して、公にしたりしないでしょう。

正解はない

他に "利益の最大化" などの論点がありますが正解はないのでこの辺りで止めましょう。 自分自身の心構えを持てれば良いと思います。 もしも正解と不正解を測る尺が必要なら、自分が所属するコミュニティーのルールに則るしかありません。 ただし、それは倫理的な観点よりもコミュニティーを維持するためのルールであることが多いでしょう。

まぁ少なくとも考古学者の方々は自身の生きざまを後世に残し公開していくほどの覚悟が欲しいものです。 仮にそうなっても文句は言えないでしょう、と思ってしまいます。 とか言いつつ私も遺跡があれば観光はするでしょうけどね。

似たようなテーマはいくらでもあります。 例えば「医学の発展のために動物は犠牲になっても良いのか」とか良くありますね。 しかし考えるとキリがないし疲れるので止めておきましょう。時折思い出せば良いと思います。